[9]。当初はネグリト人は沿岸に住んでいたが、原始マレー系住民に追われて山岳地帯に住むようになった。原始マレー人は製鉄と灌漑の技術を持っていた[6]:31。, 紀元前2000年~前1500年には古マレー人が水田農耕を持って移住したとされる。ルソン島カガヤン渓谷ソラナ東遺跡からイネが出土している。, 3世紀には、扶南国の交易相手として巨延洲の記述があり、フィリピン諸島とみられている。交易品目はイモ・シャコ貝。, 西暦300年から700年頃には、東南アジアの島々では海洋民族が活躍しており、インド文化圏の仏教やヒンドゥー教の影響を受けていたと見られる[10][11]。特にスマトラ島のシュリーヴィジャヤ王国やジャワ島のマジャパヒト王国(いずれも現インドネシア)は交易を通じて文化の発信源となっており、フィリピンにももたらされた。現代フィリピンのタガログ語にもサンスクリット語を語源とする単語が多い[6]:33。, 古代のフィリピンに関する情報は、東南アジア諸地方の中でも非常に少ない。これは、フィリピンがユーラシア大陸から見て遠隔地なため、フィリピンの歴史を目撃する他民族にあまり恵まれなかったという事情もある。また、フィリピンは熱帯のため、考古学的遺物が腐って残りにくかったという事情もある。そのため、歴史研究家の中には「フィリピンにはスペイン時代以前に誇るべき歴史が無い」と断定する人もいる[12]:102。, ただし、この時代の様子を窺う資料が全く無いわけではない。1990年、ルソン島のバエ湖で、シャカ紀元822年(西暦900年)の日付が入ったラグナ銅版碑文(英語版)と呼ばれる金属板が見つかった。これは早期カウィ文字(英語版)に属する文字(バイバインと同じアブギダ)で書かれた一種の裁判記録であり、この時代にフィリピンにある程度の文明社会があったことを証明するのに十分なものだった。ただし、出自があまり明確ではなく、真贋は確定していない。[3]:7[7]:59。, トンド王国は、中国・東南アジア・インド・アラブとの中継貿易で栄えた海洋国家である。中国の記録には、「呂宋國」が首都を「トンド」(東都)に置くという記述があり[13]、モンゴル帝国に敗れた南宋の残党[14]が海を渡り建国したという伝承が残っている。, 元代の史書『文献通考』によると、982年にフィリピンと思われる摩逸国の商人が交易品を積んで広州を訪れている[15]。また、1225年の著書『諸蕃志』では、この時代のフィリピン(麻逸)の人は木綿の布で体全体または下部を隠しており、青銅の神像を草原に置いており、中国やアラブ諸国とバーター貿易していると解説されている[3]:9。フィリピンの言語には中国語由来と見られる経済用語も多い[6]:33。14世紀の島夷誌略(中国語版)にもマニラを意味する麻里の地名が見られる[6]:241。, ミンダナオ島北東部のアグサン川(英語版)流域のブトゥアンにあった中継貿易で栄えた海洋国家で、10世紀ごろにはすでに、占城(ベトナム南部)や馬来(ヌサンタラ、インドネシア)などとの交易を行っていた。11世紀までにブトゥアンはフィリピン諸島の交易・商業の中心となっていた。, 1521年にフェルディナンド・マゼラン一行が、アグサン川河口に碇を下ろしミサを行った記録が残っている。, 14世紀後半には、中国~東南アジア~インド~中東を繋ぐ航路上で海上交易を行っていたイスラム商人の影響でフィリピン諸島にもイスラム教が広まる。, 1433年にはネグロス島の首長カランチアオ(英語版)が刑法を制定したとされているが、疑わしいと考える人もいる[16]:89。, 15世紀後半にはマラッカ王国を中心とした貿易が盛んになった。インドのマラバール(英語版)[要リンク修正]、コロマンデル、グジャラートやジャワと共に、ルソンからも多数の商人がマラッカを訪れて貿易した[17]:35。, 16世紀のスペインが到来する直前、ルソン島はブルネイの影響にある都市が多く存在した。その首長の何人かはブルネイのスルタンの娘を妻としていた。最大都市マニラには6000人規模の集落があり、その他にも南西部沿岸に都市があった。主な交易品は、輸出品として金、蜜蝋、蜂蜜、蘇木であった。輸入品としては陶磁器、織物、金属製品、日用雑貨などだった。輸入された鉄製品は新たに鋳物として作り直された[18]:123。陶磁器は宋胡禄など中国や東南アジア各地のものが確認されている[2]。, また、フィリピンにはバランガイと呼ばれる数十戸を単位とする集落が数多くあった。バランガイの語は船を意味するマレー語に由来しており、元はマレーからの同一の漂流集団と見られている。バランガイは相互に交易も行っていたが、特定の国家に支配されているものではなかった[6]:34。, また、フィリピン南部のミンダナオ島にはジョホール王国(現ジョホール)からセリフ・カプンスワン(英語版)がやってきて、マギンダナオ王国を建国した。, 1380年、Simunul(現在のタウイタウイ州, スールー諸島)にメッカからen:Makhdum Karimがイスラム教をもたらし、フィリピンで最初のモスクen:Sheik Karimal Makdum Mosqueを建設した。 また、多島海国家という特徴から島嶼間の移動は必然的に航空機または船舶を利用することになるため、各航空会社の路線網が発達している。, 以下の代表的な航空会社がある。(ここ数年、格安航空会社を中心に提携再編が繰り返されているので、最新の情報は要確認), マニラ南部ニノイ・アキノ国際空港近辺からカヴィテ州を結ぶSLEX(South Luzon Expressway)やケソン市からパンガシナン州を結ぶNLEX(North Luzon Expressway)といった高速道路があるが、短距離である。, 近年は、SCTEX (Subic-Clark-Tarlac Expressway) やSkyway(マカティ-ビクータン)等の路線も開通しているが、マニラ首都圏へ続く木の幹に当たるロハス通りの幹線道路に、全ての枝状の道路が集中する構造で、環状道路もエドゥサ通りしかなく、貧弱な道路インフラストラクチャーと相まって、道路信号なども充分に整備されておらず、深刻な交通渋滞が発生している[58]。, ごく短時間の間に、警察官による車線規制を行い、時間帯によって、1本の道路を上り専用、下り専用道路として運用されたり、複車線の道路も時間帯で上り下りの車線数が変更されることが有る。その他、マニラ首都圏では一部地域において月曜日から金曜日までの間、ナンバープレートによる流入車規制が行われている。, フィリピン全土では、アスファルト未舗装の道路も多く、道路舗装事情が良くないため、SUV四輪駆動車の需要が多い。, 長距離鉄道としてはフィリピン国鉄があり、ルソン島に鉄道網を持つ。北方線が1991年のピナトゥボ山の大噴火で全線運休し現在に至る他、台風などの自然災害で度々運休している。, 都市間輸送については、高速バスの方が早くて多頻度かつ経済的であること、航空網が整備されていることなどから、鉄道による旅客輸送は衰退している。鉄道車両は日本で使用されなくなった客車や国鉄203系電車が輸出され使用されている。, 都市鉄道としてはマニラ・ライトレール、マニラ・メトロレールの鉄道路線がある。マニラ首都圏の慢性的道路渋滞を解消するために建設された。料金は1路線につき10~15ペソ程度で運行本数も多く、市民の重要な足となっている。, フィリピンの国土は多数の島々から成るため、フェリーボート、貨客船の航路が発達しているものの、使用船舶は他国での中古船が多く新造船は殆ど無く旅客定員も改造によって安全基準を超過しているものもあり、安全に対する意識が低く、事故率も高い。例えば、ドニャ・パス号の事故などが知られる。, 人口が1億人を超えたフィリピンはマレー系を始めとする多民族国家である。タガログ族(英語版)・ビサヤ族(英語版)(セブアノ族(英語版)・ヒリガイノン族(英語版)・ワライ族(英語版))・イロカノ族(英語版)・ビコラノ族(英語版)・カパンパンガ族(英語版)・パンガシナン族(英語版)・モロ族(マギンダナオ族・バジャウ族(英語版)・ヤカン人(英語版)・タウスグ人(英語版)・サマル人(英語版)・en:Bangsamoro[要曖昧さ回避])・イヴァタン人(英語版)(台湾原住民)・華人・サンボアンゲーニョ(英語版)・メスティーソ・ネグリト(アエタ族・アティ族・バタク族[要リンク修正]・ママンワ族(英語版))・イゴロット族(ボントック族・イフガオ族など)・ティルライ族(英語版)など。, 現在ではフィリピン人とは、当たり前のことであるが、フィリピンに生まれ育った土着の人々の名称である。このような考え方は19世紀半ば以降に意識され始め現在に至っている。かつては、スペイン本国生まれのスペイン人と区別して、フィリピン諸島生まれのスペイン人を指して用いられた。彼らをフィリピーノ[60]あるいはクリオーリョ、そして、土着の人々をインディオといった。また、スペイン人や中国人の移住者の男性と現地の女性との間に生まれた子どもはメスティーソと呼ばれた。この背景には、インディオやメスティーソのなかの富裕層の子弟たちが、スペインの圧政に耐え兼ね、改革や自治を求めた様々な運動があったことが考えられる[6]。, フィリピンの主要民族はタガログ族であり、ルソン島のリサール州、ラグナ州、タルラック州、ブラカン州、バターン州などに住む、タガログ語は他のフィリピン諸語と同じく、オーストロネシア語に属する。これを母語とする者は2500万人以上と推計される。16世紀後半から約300年にわたるスペイン人の支配により、タガログ族の80%以上がカトリック教徒となっている。大半が木やニッパヤシでつくった小さな高床式の家屋に住み、水稲耕作を主とする農業を営んでいるが、主要な換金作物はサトウキビとココナッツである。19世紀から20世紀初頭にかけて起こった白人(スペイン人、アメリカ人)と日本人の植民地支配に対する革命運動で、最も重要な役割を演じた民族でもある。そのため、フィリピン国民の主要な英雄や、独立後の政府の指導者多く輩出している。ルソン島にはその他にもイロカノ族(人口約810万人)、ビコラノ族(人口約540万人。ビゴール語を話す)、カパンパンガ族(約人口300万人)、パンガシナン族(約人口110万人。但し、イロカノ族との混血が進んでいる)など、他にも多数の中小部族を抱えている。, 続く主要民族はビサヤ諸島(セブ島、パナイ島、レイテ島、サマール島)を中心として、ルソン島からミンダナオ北部にかけて居住する新マレー系住民のビサヤ族である。オーストロネシア語族に属するビサヤ諸語を話し、人口は2000万を超えると推定されるが、政治的に、社会的地位は、タガログ族が圧倒的優位を占めている。但し、一言にビサヤ族と言えど、実際には多数の部族が存在している。ビサヤ族の最大の部族はセブアノ族であり、セブアノ語を話し、セブ、シキホール、ボホール島などの各島に居住し、1200万人の人口を誇る。2番目の人口を有するヒリガイノン族の人口は約700万人であり、ヒリガイノン語を話し、パナイ、西ネグロス、南ミンドロなどの各島に居住している。3番目にはワライ族であり、人口は約310万人。ワライワライ語を使用し、サマール、東レイテ、ビリランの各島に居住し、おもな生業は水田耕作による水稲栽培であるが、一部は漁労や商業にも従事している。主食は米、魚、野菜、果物である。双系親族、儀礼的親族を有する。かつてはラオンと呼ぶ至上神を信仰し、アニミズム信仰も盛んであったが、現在はほとんどキリスト教に改宗している。他にも多数の中小部族が存在している。そのため、マニラ中心の中央政府と協調関係を取りながらも、独自の文化、習慣、言語、民族性を保持している州政府が多い。, ミンダナオ島などの南部にはイスラム教徒のモロ族(バジャウ族・ヤカン人・タウスグ人・サマル人など)が存在する。, フィリピン華人の大部分は中国福建省南部(特に晋江)の出身である[61]。明・清時代からの古い華人が多く、現地化や混血(メスティーソ)が進んでいる。元大統領コラソン・アキノも福建華人の子孫であり、フィリピン独立の英雄として知られるホセ・リサールも中国系移民の系譜を持つ[61]。現在でも中国語(福建閩南語)を話し、中国の習慣になれている者は100万人程度と推定される。苦力出身者がほとんどおらず、商業移民が中心となっている[62]。中国系移民の総人口に占める割合は比較的小さいが、2012年6月にフォーブズが発表したフィリピンの富豪上位10位の7割を中国系移民及びその子孫の企業グループが占めているように、経済的成功者も多く、フィリピン社会への影響力は大きい[61]。, フィリピンの華人は、スペイン統治時代に幾度も排斥政策を取られたことから、存続のため、現地社会との融合度が高く、現地人との通婚が進んでおり、仏教を捨ててカトリック教会への改宗者も多い[62][61]。また、フィリピンが反共を掲げた経緯から、同じく反共を掲げ、西側陣営に属した台湾(中華民国)との関係が深い。フィリピンの華人社会で使われる漢字は、台湾と同じ繁体字である[62]。, 過去数百年で中国系(華人)やスペイン人(サンボアンゲーニョ(英語版))との混血が進み、混血率は高い。地域によって混血率は違い、スペイン統治時代に重要な軍港であった地域、特にサンボアンガでは、スペイン人との混血率が高い。混血者はラテンアメリカと同様にメスティーソと呼ばれる。外国へ出稼ぎに行く国民が10人に1人はいる出稼ぎ国家で、外国で働く労働者が多いため、その他の混血の人も多い。その中でも、日本人・アメリカ人とフィリピン人のハーフが多い。, 山岳地帯のネグリト、ボントック、イフガオなどがいる。フィリピン各地の山岳地帯や南部のミンダナオ島、スールー諸島、パラワン島の住民は中北部の低地住民とは文化や生活様式を異にしてきた人々を少数民族という。これらの人々は全人口の10%前後であるといわれている。南部に住むムスリム(モロ族)と各地の山岳地帯に住む住民の2つに分けられる。アメリカは、少数民族を「非キリスト教徒部族民」と名付け、後進的な野蛮人と見なした(モロの反乱(英語版))。これらの少数民族からも国会議員や地方議員が出ているが、彼らは地域の「ボス」であることが多く、少数民族の利害や権利は政治に反映されなかった。差別の原因を宗教の違いにされたり、無知からくる偏見にさらされた[63]。, 1960年の人口は、27,087,685人。1980年の人口は、48,098,460人。2005年の人口は、87,857,473人。2010年の人口は92,337,852人。2015年の人口は100,981,437人と人口爆発が続いている[2]。, 2014年7月27日に、公式に1億人を突破したと発表した[64]。国連等の推計では、2030年には1億1千万人、2040年には1億2千万人、2050年には1億2千7百万人になるとされる。, 国語はフィリピン語 (Filipino)、公用語はフィリピン語と英語であるが、母語として使われる言語は、合計172に及ぶ。これらのほとんどはアウストロネシア語族に分類されるが、アウストロネシア語族の言語間にも、ほとんど意志の疎通が図れないほどの違いがある。他に使われる言語には、スペイン植民地の歴史を反映してスペイン語(フィリピンのスペイン語)やチャバカノ語(スペイン語とそのクレオール言語)がある。なおスペイン語は、1986年まで公用語の位置にあった。フィリピン政府は各地で英語とフィリピン語が使われている事実を持ってして公用語であると宣言しており、スペイン語やアラブ語(イスラム教徒)が自発的な運動により公用語になりうる事も示唆している。, フィリピン語 (Filipino) は、1987年に成立したフィリピン共和国憲法において、初めて国語を言い表すのに正式に採用された人工言語である。実質的にはマニラ首都圏を中心として話されている地方語の1つである『タガログ語 (Tagalog) 』を基にして採用された言語である。そもそもフィリピン国内では、ルソン島やミンダナオ島、セブ島を含む7100以上の島々からなる地域において、タガログ語をはじめ、セブアノ語(セブ語、ビサヤ語)、ボホラノ語(英語版)、ワライ語、ビコール語、ヒリガイノン語、イロカノ語、パンパンガ語の8大言語[67]を含む100近い言語集団があると言われている。, アメリカ合衆国の植民地であったこともあり、アメリカ英語がかなり普及しているが、ナショナリズムの高まりと共に政府はフィリピンが一体となって発展していくためには国内全域で通用するフィリピンの共通言語が必要であるとし、タガログ語を基本としたフィリピン語を作り普及に務めてきた。1934年のタイディングス・マクダフィ法を受けて、同年に開かれた憲法制定委員会で、公用語や国語の問題が話し合われ大論争となった。最終的には、固有の1言語を基礎として国語の確立をすることで収まった。これを受けて、1937年、ケソン大統領がタガログ語を国語の基礎として選択するという宣言を行った[68]。, フィリピンのキリスト教社会では、名前は西洋式に「名、ミドルネーム、姓」の3つの部分からなる[注釈 12]。その場合、未婚者および男性は母親の旧姓を、結婚して夫の姓となった女性は自分の旧姓をミドルネームとしていることが多い。ミドルネームはイニシャルのみを記す場合と、そのまま書き表す場合がある。スペインによる長い植民地支配時代の間に、地元民はスペイン人の姓から選んで名乗ってきたため、フィリピンではスペイン語姓が主流であるが、華人系の姓も多い。名は旧来のスペイン語の名前に加えて、英語その他主にヨーロッパ系の名前が自由につけられている[注釈 13]。, 婚姻の際には、従来の法律では、結婚時に女性側は、自分の姓をミドルネームとして相手の姓を用いるか、相手の姓のみを用いるか、相手のフルネームにMrs.をつけるか、を選ぶことが可能、とされていたが、2010年に、最高裁判所は、女性の権利を守る観点から、これらに加えて、相手の姓を用いず自分の姓のみを用い続ける(夫婦別姓)ことも可能、との判断を下した[69]。, フィリピンは、バンサモロ自治地域を除けば、東南アジアでは東ティモールと並ぶキリスト教国である。キリスト教は、スペイン植民地時代に広まった。スペインが16世紀に伝えたものは、ローマ・カトリックであった。そのため、今でも人々のほとんどが、ローマ・カトリックの信者である。, キリスト教徒は、フィリピンの全人口の90%以上を占める。2000年の国勢調査では、カトリックが82.9%(カトリック教会が80.9%、アグリパヤンが2%)、福音派が2.8%、イグレシア・ニ・クリストが2.3%、その他のキリスト教が4.5%を占める[70]。, 2000年の国勢調査でのキリスト教の他の宗教は、スペイン人到来以前にもたらされたイスラム教が南部ミンダナオ島を中心に5%、その他が1.8%、不明が0.6%、無宗教が0.1%である[70]。イスラム教やキリスト教が入ってくる以前は、各島の自然の精霊などを信じる原始宗教(フィリピン神話)があった。(フィリピンの神話上の生き物も参照されたい), フィリピン共和国憲法に政教分離の規定は存在するものの、カトリック教会の影響は強く、フィリピン司教協会は離婚法や人工妊娠中絶や避妊に対して反対し、政治家に対して政治介入しており、フィリピンで人口爆発と貧困が続く一因となっている。また、結婚があっても離婚自体が法律上無い国家として有名であり、法的離婚制度が無いのは、バチカン市国とフィリピンのみである[71]。, 2008年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は95.4%(男性:95%、女性:95.8%)である[70]。2009年の教育支出はGDPの2.9%だった[70]。, 教育政策として高等教育を重視しているのが特徴である。これはスペイン植民地時代から引き継いでいる。高等教育の就学率は27.4%(1995年)で、アジアの中でも高い方であり、高等教育機関は、国公立・私立合わせて1489(2003年)もの大学が存在する。その中でも聖トマス大学は、アジアでも最古で、1611年の創設であり、在フィリピンのスペイン人に聖職者教育を施すことを目的とした。1908年に設置されたフィリピン大学は、アメリカ統治時代のもので、英語でアメリカ式の教育を行い、現地調達の行政官や大学教員を育てることが目的であった[72]。, フィリピン料理は、中国やかつての宗主国であるスペインとアメリカの食文化の影響を受けている[73]。フィリピンは国際捕鯨委員会 (IWC) を脱退しており、現在でも食用に捕鯨を行っている。, フィリピンの初の近代小説はペドロ・パルテノ(英語版)による『ニノイ(英語版)』(スペイン語: Nínay、1885年)によって幕を開き、そのすぐ後にスペイン語で書いた2作の小説、『ノリ・メ・タンヘレ(英語版)』(1886年)と『エル・フィリブステリスモ(英語版)』(1891年)でスペインによるフィリピン植民地支配を告発したホセ・リサールが現れた[74]。米比戦争によって20世紀初頭にアメリカ合衆国に併合された後、公教育を通じて英語が教えられると、1925年頃から英語による作品が書かれるようになり、また、1939年にフィリピン作家連盟が結成されている[75]。他方、20世紀前半の現地語による文学は大衆娯楽小説が主であり、第二次世界大戦中の日本占領期にタガログ語創作が奨励されたものの、第二次世界大戦終結後は再び英語が文学語として重視されるようになった[75]。, 20世紀後半の文学は英語、タガログ語、その他のフィリピン地方言語などの様々な現地語で書かれた[76]。著名な作家としては、『二つのへそを持つ女(英語版)』(1961年)でフィリピン人のアイデンティを題材にしたニック・ホアキンや、英語で『ロザレス物語(英語版)』五部作(en:Po-on (novel)、en:The Pretenders (novel)、en:My Brother, My Executioner、en:Mass (novel)、en:Tree (novel))、『エルミタ(英語版)』などを著しフィリピン近現代史を題材にしたF・シオニル・ホセ、タガログ語で『マニラ 光る爪(タガログ語版、英語版) (Maynila: Sa Mga Kuko ng Liwanag)』(1968年)を書いたエドガルド・M・レイエスらの名が挙げられる[77](後に映画化された『en:Mga Kwento ni Lola Basyang』)。, フィリピン武術(エスクリマまたはカリ、アーニスと呼ばれる)がフィリピンの国技である。他にも地方や種族によって様々な武術がある。徒手空拳術と武器操作術のバランスに優れたフィリピンの武術は実戦的であるとして評価が高く、各国の軍人や警察官のほか、他の武芸・格闘技の使い手や映画俳優などにも愛好者が多い。, スポーツでは、室内競技であるバスケットボール、ボクシング、ビリヤード、バドミントンなどが人気を集めている。特にバスケットボールは、アジアにおいて初めてのプロリーグであり、NBAに次ぐ歴史を持つフィリピンプロバスケットボールリーグ (PBA) を立ち上げ、国民的人気を誇る。また、ワールドカップ(旧:男子世界選手権)でのフィリピン代表は1954年にアジア最高位の3位の記録がある。, ボクシングやビリヤードは世界チャンピオンを多く輩出している。「アジアの怪物」と呼ばれているボクサーマニー・パッキャオや、ビリヤードのエフレン・レイズなどはその世界では伝説的である。パッキャオの世界的活躍は彼を祖国の英雄へと押し上げ、後に続くフィリピン人ボクサーの米国での成功や世界的評価の急上昇という好循環を齎している。, その他、チアリーディング、バドミントン、バレーボール、ソフトボール、ゴルフ、テニスなども人気がある。空手なども行われており、ボクシングを含めて格闘技が盛んである。熱帯性の気候から、激しい運動を伴う屋外スポーツ競技は、あまり人気がない。, ミス・コンテストが地域に根付いており、学校単位でのミス&ミスター・コンテストや全国単位でのミス・コンテストが盛んである。ミス・ユニバースのフィリピン代表は3回優勝している。, 2001年にフィリピンで誕生したミス・アースも現在では世界四大ミスコンテストに数えられるほどに成長した。, フィリピン国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が3件、自然遺産が3件存在する。, インドネシア | シンガポール | タイ | フィリピン | マレーシア | ブルネイ |  ベトナム | ミャンマー | ラオス | カンボジア, 座標: 北緯14度35分 東経120度58分 / 北緯14.583度 東経120.967度 / 14.583; 120.967, 例えば、2010年代であれば、2010年、2013年、2016年、2019年の4回である。, 35年憲法改正の準備は196年代の後半から本格化し、1970年11月の憲法制定会議代議員選挙で320名選出される。, 被害者総数は120万人に他するほどであった。一方、農業に適した養分を含む土地も形成した, 1960年から2000年代中頃までに約1万件の地震が観測されている。1990年7月に中部・北部ルソンを襲った大規模地震は7州に被害を及ぼし、120万人以上が被災した。葉山アツコ「自然・地理」, ただし最近では、スペイン語よりも英語の名前が主流となっている。例:Miguel、Margarita → Michael、Margaretなど。, 日本と比米との激しい戦闘で全土が焦土と化し、およそ111万人以上の犠牲者と60億ドル(1950年価格)にのぼる物的損害を出した。(, オアフ島の小高い丘の中腹に建つ敷地面積約500坪の豪邸で一家が亡命生活を送った。すでに腎臓病などが悪化し3年半後の1989年9月死亡した。72歳であった。(, 世界遺産のサンゴ礁破壊で高まる反米感情 モン・パラティーノ “ Newsweek(ニューズウィーク)日本語版 ”2013年2月12日号, 二宮書店編集部 『Data Book of the World (2012年版)』 二宮書店 2012年 234ページ, Highlights of the Philippine Population 2015 Census of Population, World Economic Outlook Database, April 2014, https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/philippines/data.html, “フィリピン、「真の独立」のため国名変更?:議員が提案、候補には「カタガルガン」や「マハルリカ」など”, https://jp.wsj.com/articles/SB10450239983503033595904583204531475610340, https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41197590T10C19A2EAF000/, http://www.ide.go.jp/Japanese/Serial/Poverty/200506/07.html, “Japan may give planes to Manila for South China Sea patrols - sources”, 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